昔、水無瀬にお通いになっていた惟喬親王が、いつもの狩をしにいらっしゃいます
お供に馬の頭(馬寮の長官)である翁がお仕えしていた。
数日経って御殿にお帰りになった。(馬の頭は)お送りして早く帰ろうと思うが
(親王は)お酒をお与えになり、褒美をお与えになろうとして、帰そうとなさらなかった。
この馬の頭は、(いつ帰して下さるのかと)じれったがって
枕と言って草を抜いて(草枕に)結ぶこともしないでおこう(旅寝はしませんよ)
(長い)秋の夜さえあてにできないのに(春の終わりの夜はもっと短いから)
と詠んだ。時は旧暦三月の末日だった。(馬の頭が旅寝はしない、なんて言うものだから)
親王はお休みにならずに夜明かしなさったのだった。
このようにしながら(馬の頭は)参上しお仕え申し上げたが、
(親王は)意外にも出家なさってしまった。
一月に(お顔を)拝み申し上げようと思って小野に参上したが、比叡の山の麓なので雪がとても深い。
無理に御庵室に参上して拝み申し上げると、所在なさそうでとてももの悲しくていらしゃったので
幾分長くおそばにいて、昔のことなど思い出して申し上げた。
「そのままお側にお仕えしていたい」と思うが、公務があったので、ようお仕えしないで
夕暮れに、帰ると言って、
(現実を)忘れては夢かと思うことだ (昔は)思っていただろうか
(思ってはいなかった)雪を踏み分けて貴方を見ようとは
と詠んで泣く泣く(都に)帰ってきた。
どんなことでも終わりがあると、頭では分かっていても、
いざ自分に近い人になると不思議な感慨がある。
恩師があと数年で定年退職なさるとか、研究会でよくお見かけした
ある先生が今年定年退職なさるとか。それでも文学の場合は退職してからでも
研究を続けられるが、職業によってはそうはいかない。
スポーツでとても華やかだった人や全盛時代を誇っていた人が引退すると、
身近でなくても一つの時代が終わったような気持ちがする。
例えばラモス・ルイが引退し、マイケル・ジョーダンが引退した。
本人にとってずっと続けてきたことをやめる、ということはどういうことだろう。
以前一緒にサッカー部の顧問をしていた英語科の同僚は、ずっと審判部にいたが
「四十になったら、サッカーはやめるんや」と言っていた。
彼は大学ではサッカーをやっていなかった、ということだったが、顧問をして
土日祝の練習の付き添い(見てるだけの私と違い、一緒に走っている)や
春・秋・冬の大阪府の高校サッカー大会の試合の審判で笛を吹いて
年がら年中走っていた。見るだけでもおもしろいサッカーを自分のチームをもって
結構楽しそうにやっていたので、そんなにあっさりやめられるものか疑問に思っていたが
転勤していつだったか、府大会のトーナメント表を見ていて、その先生の名前が
審判のなかにないことに気がついた。
はー、〇〇氏はもう四十になったのか、と
そのときは他人事だったが、私自身一昨年ちょっとした病気がみつかり、とうとう
去年からは寒暑厳しいグラウンドで二時間過ごすことができなくなってしまった。試合を見にいき始めて
ちょうど今年で十年。去年の新人戦はかなり無理をして行った。氷雨の降る悲惨な試合だった。
今年は晴れていたのに行けなかった。かつて『カントク』と言うあだ名をもらったこともあったが、
ついに引退を決意した。試合にも付いて行けないのに、ずるずると顧問をしていた。
四十でやめる、と言った人の潔さを知った。
もちろん、できるならベンチでチームの連中と喜怒哀楽を共にしたかったが・・・・・・