雪 その弐

 昔、男がいた。子供のときから御仕え申し上げていた主君が剃髪なさってしまった

正月には必ず参上した。宮中に出仕していたので、いつもは参上することができなかった。

しかし元の気持ちは失わないで参上したのであった。

昔、御仕えしていた人、親族である人、禅師である人が、たくさん参上し集まって、

「正月なので、事始め」と言って、御酒を下さった

雪は(天から)こぼすように(たくさん)降って、一日中、止まない。

人々は皆、酔って「雪に降り込められた」というのを題にして、歌(会)があった。

  おもへども身をしわけねばめかれせぬ ゆきのつもるぞわが心なる

  (御仕えしようと思っても身を分けられないのでお目にかかれませんでした 

   途切れることなく雪が積もるのは私の心です)

と詠んだので、皇子は大変ひどく感動なさって、お着物を脱いで(褒美に)お与えになった。


「みこ」とあるので、第八十三段を下敷きにした、業平と惟喬親王との話であろう。

但し、年齢が合わないことが指摘されている。親王が生まれた時、業平はもう一人前だったから。

 雪が「ゆきこぼすがごと降りて」というのが、実感がこもっている。

踊るような雪がいつまでもいつまでも降りしきって、いつまで降っているのか

このまま空が一緒に降ってくるのではないか

と思ってしまう。宮澤賢治の世界のような雪。あめゆじゅとてちてけんじゃ・・・。

 

公務があると、思うにまかせないのが、外出だ。規則と時間と人の目がある。

例えば、教員をしているとすぐそばにある郵便局にいくのさえ、なかなかやっかいだ。

いつだったか、振込みをするのに空き時間を利用したら、校長と鉢合わせをしてしまって、

振込先をチェックされてしまった。幸運なことにたまたま振込先がサッカー協会で、その校長が

大阪のサッカー協会の大物だったため、お小言をいただかなくて済んだ。

昔は古い先生は空き時間に喫茶店でコーヒーを飲んだり、将棋をさしたり、散髪に行ったりなどしていた

(結構いい情報収集方法でもあったようだ)が、最近は近隣の人がうるさくて、放課後でも難しいようだ。

匿名の苦情の電話が入る。「お宅の学校の先生が勤務時間中に・・・・・・。」

校外では近年公務員に対する批判が高まり、教員の自動車通勤をチェックしたサイトまで現れ、

校内では、人を扱う世界だから他人のすることにはいちいち目が光っている。

そんな気の小さい事では、と言う人もいるが、

政敵がいる世界ではちょっとしたことが裏目にでる。

こちらにどんな事情があろうと、事実がどうであろうと、

後で噂され曲解されたときには、申し開きする場所すらない。

いや、下手に弁明すれば、その申し開き自体が問題になってしまう。

昔の宮中は世界が狭いから、なおのことやっかいだっただろう。

出家、剃髪して隠遁している宮様を慕う人が多くいることを、

政権を掌握する人々がよく思うはずもない。

そちらにはたまたま雪に降り込められたため、帰れず長居したと報告するのだけれども、

自分の気持ちとしては

その雪の降りつもるのは私の気持ちです、と歌って、

長く居たい気持ちとずっと重ねてきた思いを、

降りしきる、

白いけがれない雪で表現するのだ

 

 

伊勢物語    2001年12月5日作成 内田美由紀