どんどん行って、駿河の国へ着いた。宇津の山にやってきて、
自分の入ろうとする道は、とても暗くて細くて、蔦や楓(本によっては蔓)は茂り、
なんとなく心細く、ひどい目に遭うことだと思っていると
修行者に出会った。「こんな道になぜいらっしゃるのですか」というのを見ると
会ったことのある人であった。
都に、あの人の御元にといって、手紙を書いて、ことづけた。
駿河なる宇津の山べの現にも夢にも人にあはぬなりけり
(駿河にある宇津の山辺で現実にも夢にもあなたに逢わないことですよ)
とても奇妙なことに、第九段東下りの中で、
この直前の「唐衣きつつなれにし」の歌が
かきつばた
を詠み込んで、初夏の風景なのに、その次の宇津の山の挿絵はよく秋の紅葉した蔦・楓が描かれている。
しかも、さらにその次の部分は、
同じ駿河の国で、
旧暦五月下旬(夏)の富士の山だから、話があわない。
平安時代には、相手が自分のことを思っていたら、夢に見るという俗信があった。
私はこれまで、いろいろ不思議な目にあったので、この俗信は信じないこともないが、
では逆も真なのか?というと
「逆は必ずしも真ならず」と、数学で習った命題を思い出してしまう。
それは
かわいそうな主人公が論理的でないというわけではなくて
せめて彼のことを彼女が想ってくれている可能性があったら
と思うからだ。
2002年7月6日 2006/09/18更新 伊勢物語