飾り粽

 昔、男がいた。人のところから、飾り粽を贈ってきた返事に

   あやめかり君はぬまにぞまどひける 我は野に出でてかるぞわびしき

  (菖蒲狩りにあなたは沼でさまよったのだなぁ  私は野に出て狩をしたのはわびしかったよ)

といって、雉をやったのだった。

 旧暦五月五日、端午の節句は、本来なら梅雨の最中で、

現在の、からっと晴れた空に鯉のぼりが泳ぐイメージとは全然違う。

かつて、屋根に菖蒲を葺いたり、部屋に薬玉(くすだま)を飾ったりしたのは、

梅雨の時期に細菌が繁殖したりするのを防ぐ消毒の意味合いがあったようだ。

今は紙だけで作ったりする薬玉も、昔は薬草を集めた物で、言うなれば、和製ポプリ。

菖蒲も平安時代には屋根だけでなく、部屋の中で根の長さを競ったり、根を几帳に掛けたりしたようだ。

ただし、近年、菖蒲湯が流行ったりしたので、若くても知っている人もあるかもしれないが、

菖蒲というのは、今の花菖蒲ではなくて、花がまるでヤングコーンみたいな目立たないものだ。

・・・なんて書いていても、私はたぶん写真でしか知らないが、

母はどう菖蒲を屋根に葺いていたのか話してくれた。(根元を括って葉先を下にして、軒に並べるんだって。)

どこかに一緒に行ったとき、実際に見て、あんたが尋ねてたのはこれがそう、と教えてもらったことが

あったような気がするのだけれど、果たしてどこだったか。そこは藁屋根でとてもたくさん菖蒲が並んでいた。

 

昔の本では、粽に菖蒲をつかったかどうか、について散々ああでもないこうでもないと

書いてあったが、匂いがきつくてとても食べられたものではないだろう、と母は言った。

粽の皮は、地域によって違うかも知れないが、母は笹を使ったと言っていた。

笹にはやはり殺菌作用があるという。この話を聞いたときは、川原に笹を取りに行った話も

ついでに聞いたような気がするが、笹も竹も区別がついていない都会育ちの私としては、

笹と竹ってどうちがうの?と話の腰を折ってしまったりしたものだ。

(なぜって、母の郷里に行くとき、神戸電鉄の電鉄小野から天神行きのバスに乗って見る、

東条川の川原の横の藪は竹薮だったから)

で、沼に笹が生えているのかと尋ねたら、

歌は、端午の節句に粽をいただいた挨拶の歌なのだから、

たとえ、別に相手が沼に菖蒲を取りに行っていなくてもいいんだと母は言う。

日本画だって、西洋みたいな写実主義じゃないんだから、ほんとの事を全部描いたりはしないの。

型があって、先生の言うとおり描くんだから。

?????(にかわが臭かった話もよく聞かされたけど・・・)

確かにこの時代の和歌は写実主義じゃないですけれどもね。

 伊勢物語 2002.5.23 内田美由紀