昔、男が病気になって、気分が死にそうに思われたので、
つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを
(最期には行く道と前から聞いていたけれど 昨日今日のこととは思っていなかったのに)
伊勢物語普通本の第百二十五段、臨終段、古今集の業平の歌である。
歌に言うように昨日今日とは思っていなかったにしても、
とても落ち着いていて安らかな死だったのではないかと思う。
なぜそういうかというと、二度ほどとても不思議な体験をした。
ある恩師が入院した時、お見舞いにいけなった。行った人々によればかなり悪そうだったので
これは二、三日中に行かねば、と思っていた矢先、明け方、
「死ぬのが怖い!」と言う絶叫を、夢の中で聞いた。
突然で心臓が凍りつくような気持ちになったが、とてつもなく眠かったので、
「死ぬ時は死ぬんだからしかたがないじゃない」と言って、布団を引きかぶり眠ってしまった。
そうしたら、その日、恩師が亡くなったという連絡が入った。
祖父が入院した時は、見舞いに行ったら本人は「あと二、三日だな」と言った。
そして私に「死んだら後どうなるんだろう」と尋ねた。祖父と私は、神も仏も信じない同士だったので、
何と言っていいかわからなくて
「きっと生まれる前に帰るんじゃないかな」と答えた。
医者はあと一週間でしょうと言った。
二、三日たって、明け方、夢の中で祖父の声で「死ぬのが怖い!」という絶叫を聞いた。
びっくりしたが、夢なので覚えていたのは朝だけで忘れて仕事へ行った。
その日のうちに「朝、食事中に亡くなった」と連絡が入った。
二人とも、とても賢い人で、私のあこがれだった。
でも二人とも最期まで意識や思考がはっきりしていたので、辛かったかもしれない。
痴呆というのは本人のためにあるのだと思った。
昨日今日とは思はざりしを、というのにはどことなく、
いつかそうなることと諦観しているような、落ち着きを感じる。
少なくとも、この人は
昨日今日というのを嘆いてはいても、
ついに行く道のことは了解していたと思うのだ。
もう少し後の時代なら、
屏風に描かれたお釈迦さまの手から五色の糸をひいて、その先をしっかり握っていただろう。
彼はどんな世界を想像していたのだろうか?