花たちばな

昔、男がいた。宮仕えが忙しく、気持ちも律儀でなかったころの妻で

家の主婦をしていた女が、熱心にあなたのことを思おうと言う男

付き従って、よその国に行ってしまった。

この男が宇佐の使い(大分県の宇佐神宮への奉幣使)として行ったが、

(女が)ある国の勅使の接待の役人の妻である

(男は)聞いて「女主人に(素焼きの)盃を持たせなさい。

そうでなければ、飲まないつもりだ」と言ったので、

(女が)盃を持って差し出したところ、

(男は)酒の肴であった橘(蜜柑)を取って

  皐月待つ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする

(旧暦五月を待つ花の花橘の香りをかぐと 昔つきあった人の袖の香りがする)

と言ったことで思い出して(思い立ち)、尼になって山に入ってしまったという。


歌はとても有名な古今集歌(夏・読み人知らず)で

印象的な歌だ。

橘の花は目立たないが、同種のオレンジの花と言えば

白く小さくてジューンブライドのウェディング・ベールを飾るものだ。

皐月は今の五月とは違い、五月雨・梅雨のころで、

湿っぽい空気のなか、しっとり柑橘系の香りが漂ってくるのだろう。

夜だったらなお、香りが広がる。

その香りに昔の人の袖にたきしめられた香の薫りを思い出す。

香をコロンに置き換えれば、現代でもありそうな話では?

 

しかし、この話は女にとっては、とても残酷なことだと思う。

平安時代は女系で財産相続をしたので、

女は家刀自(いえとうじ、主婦で家の神を祭る)であったのに、

あまりまめに通ってこない夫に愛想尽かしして、

他の男について家を出たが、あいにく、まめでない前の夫のほうが

今の夫より上の位だったばかりに、宴席で恥をかかされて(普通はそう解釈しないが、

人前に出ることない女の立場に立って見たら、とてもいたたまれないことだ)

そして尼になってしまう。

先見の明がないといえばそれまでだが、

ずっと前の男を思わなかった女が悪いのだろうか?

 

ある香りを感じて、一瞬のうちに過去の幻影を見る。

なつかしく儚い夢。

プルーストの『失われた時を求めて』も紅茶にマドレーヌを浸す一瞬に

さまざまなことを思い出す話だったが、

思い出はとてもとてもはかなかくて、現実に勝てるものではない。

花橘の香に、昔の抱きしめた人の袖の香を思い出すという歌を

昔の男が詠んだことで思い立って

昔の恋の幻影のために、出家したのなら、

きっとこの女は現実よりも幻影を選んだ、ロマンチストだったのかもしれない。

伊勢物語  2002年1月12日作成 内田美由紀