涙河

昔、高貴な男がいた。その男のもとにいた人

内記(役職名:詔勅・宣命を作り位記を書く役、儒者がなる)であった藤原敏行という人が求婚した。

しかし、(女は)若かったので、手紙もちゃんと書けず、言葉も知らず、まして歌は詠まなかったので

その主人である人が、下書きを書いて(女に)書かせて、(敏行に)送った。

(敏行は)非常に感動した。そこで男(敏行)が詠んだ歌、

  (逢えなくて)たいくつな長雨で(物思いに)あふれる涙の河は

  袖ばかりぬれて 逢う方法もありません

返し 例の男が女に代わって

  浅いからこそ袖は濡れるのでしょう 涙の河で

  身まで流れたと、もし聞いたら、あなたを頼りにしましょう

と言ったので、男はとてもすごくほめて、(手紙は)今まで巻いて文箱に入れてあるということだ。

 男が手紙を寄越した。結婚した後のことだった。

「雨がふりそうなので、お会いしにくくございます。

(わが)身が幸運であれば、この雨は降らないでしょう」

といったので、例の男、女に代わって、詠んで送らせた。

  しきりに思う思わないとお尋ねしにくいので

  (わが)身を知ることのできる雨が降り勝っていることです

と詠んでやったので、蓑も傘もとりあえず、びっしょり濡れて、狂乱してやってきた。


今は添削指導と言うと大学入試だけれども、

昔は、永久就職(?)のために、恋文の代作も多かったんだろう。

和歌の代作は日常的に行われていて、偉い人は公式の場に出す歌を専門歌人に作らせることが多かった。

 

「女」は、古注釈では誰々の娘と名前が出てくるが、女房などと呼ぶ使用人が多かったこの時代

誰であってもおかしくはない。もちろん、よほど身内でないとこんな酔狂はしないと思うが。

歌はどれも古今集に載っていて、ここで不思議なのは敏行が顕官でないこと。

何か理由があるのだろうが、当時からこの話が有名だったということもあるのかもしれない。

 

本当に女が返歌していたのだったら、たいしたものだと思う。

求婚されたら、女はとりあえず相手の真意を見るために、すぐにはOKしない。

あっさりOKしたら、軽い女だと思われて、事後はあっさり捨てられるからだろう。

気持ちが深ければ、長く通ってくれるから、

「流した涙の河でおぼれるくらい気持ちが深いのなら、お逢いしましょう」というわけ。

どうも逢ってみるとやはり手ごたえがなかったのか、敏行さんは冷たい。

「(ボクが)ラッキーなら、雨がふらないだろうけどね」

と言ってくるので、じゃあとばかりに、

「私の幸い(あなたの思い)がないから雨がふるんですね。」

と切り返す、このニクイ奴。

伊勢物語   2003年7月31日作成 内田美由紀