狩の使 続き

前半へ

  かきくらす心の闇にまどひにき 夢うつつとは こよひさだめよ

と詠んで贈って、狩に出かけた。野を歩くが心は上の空で、

今宵だけでも人を寝静めて、とにかく早く逢おうと思うが、

国守(今で言えば県知事のようなもの)で斎宮の長官を兼任していた者が、

狩の使いが来ていると聞いて、一晩中宴会をしたので、

全く逢うこともできずに、夜がもし明ければ尾張の国へ出発しようとするので、

男も人知れず血の涙を流すが、逢うことができない。夜が次第に明けようとするころに

女の方から出す盃の皿に、歌を書いて出してきた。取って見ると

  かちひとの渡れど濡れぬえにしあれば

 (徒歩の人が渡るけれども濡れないような浅い江〔浅いご縁〕であるので)

と書いて、下の句はない。その盃の皿に燃え残りの炭で歌の下の句を書きつけた。

  また逢坂の関は越えなむ

  (また逢坂の関はきっと越えて来るつもりです〔またお逢いしましょう〕)

と言って、夜が明けると尾張の国へ行ったのだった。

 斎宮は水の尾の御時(清和天皇の御代)、文徳天皇の御娘、惟喬親王の妹。

前半へ

逢おうと思った時に限って邪魔が入るのはなぜだろう。

特に邪魔する相手に悪意がないときは全くもって余計なお世話なのだけれども、

まさか今夜デートがあるなんて、公の場で本当のことも言えないし。

特に、斎宮は基本的には天皇が代替わりするまで、

ずっと未婚で伊勢神宮に仕えていなければならないので、

彼女の方から追いかけていくわけにはいかない。

浅いご縁でしたね、と彼女は夢だったことにしようとする。

男はまた逢坂の関を越えて都からやってきましょうと答えたが、

「逢坂の関」は男女の仲についていうことが多いので、

こういう人の目の多いところで「逢坂の関は越えなむ」なんて書いたのは、危険極まりない行為だ。

そういえば、こういう男女間のことは男性のほうが、人目は気にしないような気がする。

職場恋愛は隠すのが普通だけれど、女性は完璧に隠せても、

男性の方が隠しているつもりでいて証拠だらけで丸分かりで困る

昔、同級生から聞いたことがある。

私が思うに、男は女を自分のものだと示したがるくせがあるから、

無意識で自分のものと表明しているのでは?

 

                                 

伊勢物語 内田美由紀