昔、男、陸奥国まで迷いながら出かけて行った。京に、思う人に言い送った。
波間よりみゆる小島のはまひさし 久しくなりぬ君にあひみで
(浪間から見える小島の浜ひさし 久しくなったことだ あなたに逢わなくなって)
何事も皆、よくなってしまいました、となあ、言い送ったのだった。
「何事も皆よくなりにけり、となんいひやりける」って、つよがりなのか、何なのかわからない手紙だなあと思ったら、
小式部内侍本には「何事もみな・・・」の行は無かった。
もちろん無いほうが情感があっていいだろう。
浪間から見える浜ひさしではないが、すっかり久しくなってしまった。あなたに逢わなくなって・・・・・・。
陸奥国からはるばる、わざわざ詠み送っているのだから、「何事もみなよくなりにけり」のわけないじゃないですか。
未練たっぷり。
この歌は、万葉集巻十一に元歌がある。
浪間従 所見小嶋之 浜久木 久成奴 君尓不相四手
「浜ひさし」は、本来「浜ひさき」という植物だったが、どこかで誤写がおこり、定家本は皆「はまひさし」。
これは定家の父・俊成の代から家の本にそうあったらしく、、俊成は歌合で「浜ひさし 久し」と詠んで
それを弁解するはめになっている。
大学時代に、定家本が見事に「はまひさし」であることを確認したとき、
あれほど伊勢物語の本文校合を繰り返した、校合の大好きな定家が
家の本の「はまひさし」本文を万葉集で校合しなかったのがおもしろくて、歌の家というものは・・・(やれやれ)・・・と思った。
後鳥羽院が「馬をもて鹿とせしがごとし」と定家を評したのも、
浜ひさき本文を認めないような、現実や真実を超越した定家の判断のしかたを言っているのだろうと
思ったことだった。