昔、男がいた。何かあったのだろうか、その男は(女とは別れ、女の家に)住まないことになったのだった。
後に(女には、別の)夫がいたけれど、(男との間には)子がいる仲だったので、
(男は)念入りでこそなかったが、時々ものを言い送っていた。
女のほうに、(女が)絵を描く人であったので、(絵を)描きに(使いを)遣ったが、
「今の夫がきています」と言って、一日二日寄越してこなかった。
例の男は「とても冷たくて、自分の申し上げることを、今まで下さらないので、
道理とは思うが、やはり、人を同然恨んでしまうようなことでありましたよ」
と言って、嘲弄して、詠んで遣った。
時は秋で(なあ)あった。
秋の夜は春日忘るゝ物なれや 霞に霧やちへまさるらん
(秋の夜には春の日を忘れてしまうものなのだね、だから霞より霧が千重にまさっているのだろうか。
――今の男といると、前の夫のことを忘れてしまうものなのだね。きっと今の男のほうがずっと優れているのだろう)
となあ、詠んだのだった。女返し、
千々の秋ひとつの春にむかはめや もみぢも花もともにこそちれ
(いくつもの秋が一つの春に対抗するでしょうか、紅葉も花もどちらも散ってしまいました。
――何人いても飽きが一人の方に対抗するでしょうか、秋の紅葉も花も散ってしまいました)
離婚理由について、
なぜ「性格の不一致」というのが多いのか、最近ようやく理解できた。・・・・・・それ以上誰も突っ込めない。
実際のところ、元々他人の二人の性格が一致するはずもなく、理由になっていないので以前から不思議には思っていたが、
確かに他人に詳細に説明できない家庭内の事情や個人的な問題もあるし、おまけに一つや二つの理由なら離婚を回避しているだろう。
なぜって、人間って意外に保守的なものだ。破綻していても同じ状況を続けたがる。
だから、たとえ一夫多妻の妻問い婚で、三年通ってこなかったら離婚という、比較的離婚しやすかった平安時代であっても
「いかがありけむ」というのもそれなりにかなり大きな理由があったはずだと思う。
この場合、おそらくは男が彼女の家に通わないことを決めたのではないか?
もし女が「出て行って!もう来ないで!」などと男を拒否したのなら、手紙も用事も頭から拒絶しているだろう。
ところが、この段の女は、この男に対して完全な拒絶をしていない。
子供がいることもあるが(生徒たちを見ていて思うが、これだけ離婚が多くても、子供は無条件に父母がいて普通だと思っているものだ)、
とりあえず、手紙のやりとりはしている。
男は、その、強く拒否をしていない彼女の態度に少し甘えている。
別れてからでも、仕事を頼んで、遅れると嫌味な歌を送っている。
女の返歌、昔から解釈が分かれていて訳がはっきりしないので、論文に書いたことがある(1994年、百舌鳥国文第12号)。
それについて、当時の同僚で、京大卒のY先生から、已然形+「や」は条件句を構成する旨、ご指摘をいただいた。
したがって、定家天福本はもともと誤写が指摘されている男の歌の「ちへまさるらむ(たちまさるらむ)」のほかにも、
女の返歌に文法上の問題があることになるだろう。条件句ならなおのこと、うまく訳せない。