むかし、男と女が寝ても覚めても物を言って、それでもやはり、どう思ったのであろうか、男(が詠んだ歌)
心をぞわりなき物と思ひぬる みるものからや恋しかるべき
(心を全く道理に合わないものだと思ったことだ 会っているのに会いたいはずがあろうか)
(大島本所載 小式部内侍本による)
好きで好きで、会ってもまだ恋しい。
相愛でないと、なかなかこうはならない。
拒否はなく、相手の悪いところも全然気にならず、
お互い思いあって、
逢っていてもまだ物足りなくて、というような
恋愛の絶頂の時間。
歌は、古今集の恋歌四、685、清原深養父の作。
この段は業平以外の人の単独歌だからだろうが、普通の伊勢物語の伝本には載っていない。
そして、異本の伊勢物語の短い段ではよくあることだが、本文に細かい異同がある。
特に気になる異同は、小式部内侍本では
むかしおとこ女をきふし物をいひて なをいかゝおほえけん おとこ
とあるところ、越後本の本文では(大島本に載る越後本・一誠堂本の越後本部分ともに)、
むかしおとこ女をきふし物いふを いかかおほえ(思ひ)けん おとこ
”男女が(ともに)寝ても覚めても物をいうのを”とも読めるが、むしろ、越後本では
男は、「女が寝ても覚めても物をいふのを」どう思ったのであろうか、男(が歌を詠んだ)
と、”女(だけ)が寝ても覚めても物を言っているのを”男がどう思ったのか、と解釈できる。
「を」の位置一つで、男が状況を客観的に突き放してみていることになって、男がとても覚めた感じになる。
ムード半減、一字違いで大違い!誤写だろうが、主語が「昔男」でなければならないという思い込みだったのか。
この段については、少し思い出がある。
担任の橋本四郎先生が、卒論試問で私に「もっとよく調べなければなりません」とおっしゃった。
依然、その件は宿題のままになっている。なんたる怠慢!