起き伏し

むかし、男と女が寝ても覚めても物を言って、それでもやはり、どう思ったのであろうか、男(が詠んだ歌)

心をぞわりなき物と思ひぬる みるものからや恋しかるべき

(心を全く道理に合わないものだと思ったことだ 会っているのに会いたいはずがあろうか)

(大島本所載 小式部内侍本による)

伊勢物語 第 C段 2010年1月2日作成 内田美由紀


好きで好きで、会ってもまだ恋しい。

相愛でないと、なかなかこうはならない。

拒否はなく、相手の悪いところも全然気にならず、

お互い思いあって、

逢っていてもまだ物足りなくて、というような

恋愛の絶頂の時間。

 

歌は、古今集の恋歌四、685、清原深養父の作。

この段は業平以外の人の単独歌だからだろうが、普通の伊勢物語の伝本には載っていない。

そして、異本の伊勢物語の短い段ではよくあることだが、本文に細かい異同がある。

特に気になる異同は、小式部内侍本では

むかしおとこ女をきふし物いひ なをいかゝおほえけん おとこ

とあるところ、越後本の本文では(大島本に載る越後本・一誠堂本の越後本部分ともに)、

むかしおとこ女をきふし物いふ いかかおほえ(思ひ)けん おとこ

”男女が(ともに)寝ても覚めても物をいうのを”とも読めるが、むしろ、越後本では

男は、「女が寝ても覚めても物をいふのを」どう思ったのであろうか、男(が歌を詠んだ)

と、”女(だけ)が寝ても覚めても物を言っているのを”男がどう思ったのか、と解釈できる。

「を」の位置一つで、男が状況を客観的に突き放してみていることになって、男がとても覚めた感じになる。

ムード半減、一字違いで大違い!誤写だろうが、主語が「昔男」でなければならないという思い込みだったのか。 

 

 この段については、少し思い出がある。

担任の橋本四郎先生が、卒論試問で私に「もっとよく調べなければなりません」とおっしゃった。

依然、その件は宿題のままになっている。なんたる怠慢!

伊勢物語 第 C段 2008年1月2日作成 内田美由紀