昔、帝が御寵愛になっている女がいた。在原氏でまだとても若い男と知り合った。
男は、この女がいるところ、宮中でも、女の控室でも、女の里でもやってきて向かい合うのだった。
帝は顔かたちが良くていらっしゃって、お声はとても立派で、お経を心をこめてあげていらっしゃる
のを聞いて、女はひどく泣いた。
こんな立派な方にお仕えしないで、前世が良くなかったのか、かなしいこと。
この男にほだされて。
こうしている内に、帝がお聞きつけになって、この男を流罪になさってしまったところ、
この女のいとこの御息所が、女を宮中から退出させて、蔵に閉じ込めて折檻なさったので、
女は蔵にこもって泣く。
海人の刈る藻に住む虫のわれからと
音をこそ泣かめ世をば恨みじ
(自分の身からのことだと声をあげて泣くでしょう、
でも、この宿縁を恨んだりしませんわ)
と泣いていると、
この男は、よその国から夜毎にやってきては、
笛をとても趣き深く吹いて、声は美しく、しみじみと歌ったのだった。
この女は、蔵にこもったまま、あれはあの人かしらと聞くけれど、逢えるわけもなかった。
男は女が会わないので、このようにしあるいては、よその国に帰ってきて、このように歌う。
いたづらに行きては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ
(虚しく行っては帰るのに、会いたさに誘われてはまた行ってしまう)
この話は、元祖ストーカーの物語である。
(今時のストーカーと違うのは、隠れずに正々堂々と相手と直接交渉しているところ。)
若い時にはありがちなことなのか、昔こういう教え子がいた。
彼は和泉の国の彼の自宅や摂津の国の大学の寮から、私の住んでいた、
北河内の、蔵ならぬ白亜のレディースマンションの周りに、
バイクにまたがり、やってきていたようだった。ようだった、というのは
いろいろ気配はするのだけれど、実際に姿を見せてくれたのは一度だけ、
それも夜中で、上からは判然とせず、しかも七〜八人の仲間を引き連れていた。
人に相談しても、誰も信じてくれないので、私は危うくノイローゼになりかけた。
(あれはあの人かしらと、姫を気取るのは楽ではない)
私は彼と話をしてみたかった。しかし、彼はみつめることだけを望んで
接点がなかった。だから、ただ、私に残ったのは、
眠りに落ちるとき、ゆめうつつに聞こえてくる、非常階段を降りる彼の足音、そして、始動音、
淀川の堤防を通り枚方大橋を渡って、遠ざかっていくバイクの音
そういった小さな思い出だけである。