前期難波宮・後期難波宮の京域にはいろいろ説がありますが、もっと根本的に素朴な疑問があります。
一体、難波宮の都の正面玄関とも言える、羅城門はどういうところにあったのでしょう?
何故このような疑問を持ったかと言うと、
現在の研究では堀江は大川のことですが、それでは港が宮と背中合わせのような位置になってしまいます。
その上、難波の宮の京域は決して平坦ではありません。難波の宮跡からまっすぐ南下するとアップダウンが烈しいのです。それならば、北摂地域に築いたほうが、少しはなだらかだったのでは?
天子は南面す、ということで、宮は都の一番北になります。そして、都の正面玄関、羅城門は都の一番南になり、普通ならそこが国の大動脈につながっています。
平城京では羅城門は下ツ道につながり、佐保川も流れていて、竜田道に向うことが出来ます。
平安京では羅城門は山陽道につながり、鴨川から淀川へ行く事も可能でした。
では難波宮の羅城門は?
2001.3.26作成 2006/09/18 更新 地歴探訪 伊勢物語(内田美由紀)