昔、紀の有常のもとへ行ったところ、外出して遅く帰ってきた有常に詠んで贈った歌
君により思ひならひぬ世の中の 人はこれをや恋といふらむ
(あなたによって物思いが習慣になった。世の中の人はこれを恋というのだろうか)
返し
ならはねば世の人ごとに何をかも 恋とは言ふと問ひしわれしも
(そういう習慣はないので世の中の人が何を恋と言うのかとお尋ねした私であるのに、
・・・・・・私がお教えしたとはね)
男同士の友情は、とても不思議だ。
特に学生の友情を見ていると、なんだかよくわからない。
A君とB君が毎日仲良くして過ごしているとしよう。
あるときA君が学校を続けて休んで、やっと出てきたとき、
たまたま入れ替わりにB君がいなかった。
A君に向かって、「B君が寂しがっていたよ」といっても、
「あいつなら一人でも大丈夫、大丈夫」なんてA君は言ったりするが、
そのままB君が来ないと、A自身が「Bが来ない。つまらん。寂しい」と言い出して、また休む。
それで、ようやっとB君が出てきたときにA君はいない。
B君は「誰もおらん。つまらん。あいつどうしてんの?」という。
(他にも生徒はいるが、それはB君には関係ないらしい・・・)
仲良くなってからのA君B君、どちらも一人ではちっとも大丈夫じゃない。
昔、毎日熱心に学校へ来るのにあまり勉強しない生徒達がいたので
「君らは一体何のために学校へ来ているの?」とたずねたら
真顔で「友達に会いに来ている」といわれて、絶句したことがある。
でも、彼らにすれば、学校というのは、勉強ではなくて
クラブをしにきたり友達に会いにくるところらしい。
人間は社会的動物であると高校時代に習ったような気がするが
男の子達は、群れを作り、集団を構成する。
「いくぜ」とかなんとか一言だけ言って、
あまりしゃべらずにぞろぞろ歩いていくのもなんとなく不思議な光景だ。
女の子たちは5人以上の集団をあまり作らないし、多人数のグループを作ったとしても
女王様がいないかぎり、女子集団はたいてい合議制になってしまい
「どうする?どこいく?」とお互いに聞きあうので移動一つにも、とても手間取る。
それに、女の子達は集団の中であまり大事な話はしない。ものすごくよくしゃべっていても
それはその場のための話題で、たわいない話が多い。
男の子達はどうなっているのか知らないが、口数が少ないと思っていても意外とおしゃべりだ。
女の子なら秘密にするような話題でも共有しているような気がする。
たとえば、男女間の問題などは、
女の子はごく親しい友人には相談するものの、女子集団の中で話すことはまずないが、
男の子はポロポロっとではあるが、かなり核心に迫ることを男子集団のなかでしゃべっていることが多い。
男の子にとっては武勇伝だからかも?と自分が学生の時は思っていたが
どうもそれだけではないようだ。
友人に対して、同一視というか一体化というかある種独特の連帯感があって、
なんとなく、恋より強い絆で結ばれているように見える。そういう結びつきの中では
個があまり意味を持たないのかもしれない。当然集団内の構成員の重大事はたいてい知っている。
ところがそういう連中と会えなかったり連絡がつかなくて相手のことがわからなくなると、
「(この強い連帯感をほっぽいて)お前一体どうしていたんだよ」という。
そういうのは恋とは言わないと思うけれど、
でも、「あいつがいない。寂しい」なんていうところは似ているかも。
伊勢物語 第三十八段 2006年09月18日 更新 内田美由紀