紀有常

 昔、紀有常(きのありつね)という人がいた。

三代の天皇にお仕え申し上げて、時流にあって栄えたが、

後には代が替わり、時代が移ったので、世間一般(並み)の人のようでもない。

人柄は心がうつくしくて、上品で雅やかなことを好んで、他の人にも似ていない。

貧しく過ごしても、やはり昔良かったときの心のままで、世間一般のことも知らない。

長年連れ添った妻が、だんだん夫婦関係がなくなって、とうとう尼になって

姉が先に(尼に)なったところへ行くのを、男は、本当に(妻と)仲がよいということはなかったけれども、

「これでお別れします」と(妻が)行くのを、とてもかわいそうだと思ったが、

貧しかったので、(餞別を)するすべもなかった。

悲しく思って、親しく交際していた友達のところ

「かくかくしかじかで、『これで』と言って出て行くのを、何も、ちょっとしたこともできないで

行かせることです」と書いて、その後に

  手を折りてあひみしことをかぞふれば 十といひつつよつはへにけり

  (指を折って逢ってきた(結婚していた)年を数えると 十といいながら四つ(四十年)は経ったことだよ)

例の友達がこれを見て、とてもしみじみと感じて、(衣装はもちろん)夜具(ふとんのたぐい)まで贈って詠んだ(歌)

  年だにも十とてよつはへにけるを いくたびきみをたのみきぬらん

  (年月でさえも四十年は経ったが、何度あなたを頼りにしてきたことでしょうか(40回どころではありません))

このように言ってやったので、(男が返歌して)

  これやこのあまの羽衣むべしこそ 君がみけしとたてまつりけれ

  (これが尼の衣、いや天の羽衣なのですね あなたの御衣としてお召しになっていたという)

喜びに堪えられず、さらにもう一首

  秋やくるつゆやまがふとおもふまで あるは涙のふるにぞありける

  (秋が来たのだろうか、露と間違えたのだろうか、と思うほど あるのは涙が降るのであった)

 


「あまのはごろも」とワープロを打って変換したら「の羽衣」と出てきて、

『はぁ〜そういうしゃれもあったのね』と思いました。ちょっと脱力しましたけれども。

 

少し訳すとき、不思議にどことなく違和感がある段で、

例えば、歌をみて「いとあはれ」と思ってとありますが、

「いとあはれ」を「同情して」とか「とても気の毒に思って」とか文脈上訳したいのですけれども

源氏物語ならともかく、源氏物語以前の「あはれ」にそんな意味があったっけ?と、

清少納言の「あはれ」の用例など思い浮かべながら、

そういう用例を訳してきた年月にまで

「しみじみ感じて」しまうのでした。

他にも、この段には何箇所か”へぇそんな言い方するんだ〜?”などと

不思議な違和感を伴うところがあって、気持ち悪いので

何度も訳しかけてはボツになっていたのです。

伊勢物語  第十六段 2004.11.29作成  内田美由紀