昔、太政大臣(おほきおほいまうちきみ)とお呼び申し上げる(方が)、いらっしゃった。
おつかえ申し上げる男が、旧暦九月ほどに梅の造花の枝に雉をつけて差し上げるといって(男が詠んだ歌)
わがたのむ君がためにと折る花は ときしもわかぬものにぞありける
― 私が頼りにするあなた様のためにと手折る花は 時さえも(雉も)区別しないものであったことだ ー
と詠んで差し上げたので、とても並々でなくおもしろがられて、使いに褒美をお与えになったそうだ。
一応、良房の顔を立ててはあるが、なにか少し変ではないだろうか。
京都は今でも、季節に合わせて模様替えをし、しつらえを整え、着物や持ち物も季節に合わせるか先取りする。
「季節に合っていないなんて論外。興ざめですね」とおっしゃっていたのはお香の老舗の方だったか。
何しろ千年の都なのだ。おしゃれで、流行に敏感で、季節にも敏感だろう。
大阪はその点、個人個人はわりと無頓着というか自由だが、それでも街並みは季節の飾りつけがされる。
それは商業上のパフォーマンスとして、必要だからだろう。
昔の貴族も、お上やあるいは自分より上位者をもてなすために、季節に合わせてパフォーマンスを繰り広げたはずだ。
ところが、良房はどうも季節音痴だったのではないか。
少なくとも、季節を愛でる、というようなタイプではなかったと思う。
なぜそういうかというと、三条の大御幸の花の宴で弟の良相に後れをとっているからだ。
三条の大行幸で桜の花盛りに弟の良相とその子常行は西京三条第で、文人を40名も揃え「百花亭詩」を賦し、女楽も催した。
ところが、良房とその養子の基経は閏三月一日、東京染井殿第で「覧耕田農夫田婦。雑楽皆作」の上、
文人数名で「落花無数雪詩」を賦した。まさに、後の祭りだ。
満開の百花亭の後では・・・・・・。「落花、無数の雪」が無残とさえ言える。
だから、時期はずれの梅をつけて、雉を贈る、それは
『季節ミスマッチですがあなた様は平気ですよね?』と皮肉っているのか、
それとも旧暦九月の梅に何か隠れた意味でもあったのか。
しかし、一般的には古今集の左注で良房の歌とされている、よく似た歌
限りなき君がためにと折る花は時しもわかぬものにぞありける
を受けての話ということになっている。永遠の君には時を超越した花を、ということだろう。
確かに、季節を支配するのは神と魔法使いの領域だ。
そういえば、ラファエロ前派の絵に、魔法使いが真冬の庭園に花を咲かせたというのがありましたね。