物語談議

      伊勢物語  (内田 美由紀


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「狩の使」本 伊勢物語 と 一代記

伊勢物語が、なぜ「伊勢物語」なのかについては、かつて掲示板に質問も出ていましたが、諸説ある中、

一番有力なのは、この物語が伊勢斎宮段(いわゆる「狩の使」段)をかなめとしており、

和泉式部(所持)の本はこの伊勢斎宮段(いわゆる「狩の使」段)から始まっていた、というもので、

六条藤家の清輔が『袋草紙』という注釈書で平安時代にすでに述べています。

作品として考えるとき、源氏物語でもそうですが、

最初から一代記の形で書かれたのではなく、一代記の形に並び直されたのだと思われます。

 

小学生だったころ(かなり昔ですが)、

少女マンガで、萩尾望都や竹宮恵子、池田理代子、美内すずえ、一条ゆかりが活躍していて、

池田理代子の『ベルばら』や美内すずえの『はるかなる風と光』は、

歴史という原作があったり、読者層の問題もあってのことだろうけれど、ちゃんと一代記になっていました。

それで漫画から始めて、にわか歴史ファンになり、フランス革命やナポレオンを勉強したりしていました(笑)。

そういえば、ディケンズの『二都物語』(旺文社)の文庫本を買ったのもこの頃でした(読了が中学2年・・・トホホ)。

そして、一条ゆかりは、『デザイナー』『砂の城』など(立ち読みだけだったので作品の題しか記憶がない・・・)、

竹宮恵子の『空が好き!』は、ジャン・ジュネとか、よく考えたらもう一時代前の趣味も入っているけれども、

まあ、現代の話として読んでいたわけですね(『テラへ・・・』などSFのほうが今は有名だけど)。

ところが、萩尾望都の『ポーの一族』3巻を、塾の小学5年から6年の春期(たぶん)講習に持って行ったとき、

ある子に「年代順になっていないから、私にはよう分かれへんわ」と言われたので、解説する羽目になって、

巻一が、吸血鬼の主人公が養父母と妹を失った話。

巻二が、主人公と妹がどういう生まれで、なぜ吸血鬼になったかという話。

巻三が、東西冷戦下の西ドイツのギムナジウムで主人公が引き起こす話。

というのが大体の筋なのですが、

単に、巻二が一番古い話なだけで、なぜ分からないのか、(塾の勉強のほうがよほど難しかっただけに)

小学生ながら理解に苦しみました。

とりあえず、そのときは、「じゃあ、巻二から読めばいいじゃない?」とその子に言ったように思います。

しかし、構想やかかれた順は、主人公のエドガー、巻一・巻三に出てくる友人のアラン、題名がポーの一族だから、

エドガー・アラン・ポーというわけで、とってもわかりやすいのです(笑)。

今思えば、確かに、エドガー・アラン・ポーもへルマン・ヘッセも知らずに読むのはきついかも知れません。

でも小学5年で読んだ子供用の『車輪の下』よりずっとわかりやすかったのですけど。

 

後に、高校三年のとき古典の中川(信)先生から岩波新書の秋山虔著『源氏物語』を薦められて読んだとき、

箒木三帖が一番早く書かれたという説を見て、なるほどねえ、と思いました。

後から書かれた、主人公の出生の話、つまり「桐壺の巻」を

一番前に持ってきて、巻一にしたわけですから、

読者というのは、かかれた順じゃなくて、筋の年代順に並んでいるほうがいいわけですね。

しかし、高校で実際に読み始めるのは、中国の典拠だらけで文章が絵になりにくい「桐壺の巻」冒頭よりは、

筋が単純で、わかりやすい「若紫の巻」の垣間見の場面なのでありまして、

読者というのはわがままなのであります・・・・・・。

 

伊勢物語についても、

古今集に採られた業平の歌が入っている以上、

年代順に並べたかったのは、読者の自然な気持ちなのでしょう。

しかし、「在五中将の日記」と呼ぶのは行き過ぎですね、

紫式部のときには、伊勢物語はもう一代記の形になっていたのでしょうが、

業平死後の話に後の人々が困惑しますもの。

物語談義伊勢物語 2007年11月19日作成 内田 美由紀