竹取物語について 源氏物語について 住吉物語について 大鏡について 栄華物語について
源氏物語千年紀にいまさら説明する必要はないぐらい有名ですが、なかなか五十四帖全巻を読むのは困難です。
「須磨源氏」ということばがあって、桐壺巻から読み進めて、須磨で挫折する、のは昔からのことのようです。
本文注釈だと、漢籍などの出典も多くて難しいので、どうしてもそうなるでしょう。しかし、現代語訳だったらどうでしょうか。
私事ですが、母校の図書館にクーラーがついたのが高校三年で、そのとき、夏休みに勉強しに図書館へ行ったら、
谷崎潤一郎訳で、すてきな挿絵入り美本ハードカバー(ひょっとしたら初版本だったかも?)が本棚にずらっと並んでいました。
元・旧制中学は蔵書も粋で贅沢です。こういうのが文化なのでしょう。
10年ほど後には谷崎潤一郎訳の文庫本も買いましたが、あの挿絵入り美本ほどの感激はありませんでした。
それらの美本は高校図書館で本棚一つを上から下のほうまで(全体の四分の三ぐらい?)占領していたような記憶がありますが、
昔のことなのでよく覚えていません。ただ覚えているのは、数学の本を放り出して、
夏休み中、夢中になって全巻を読破してしまった(・・・・・・共通一次が・・・受験勉強が・・・・・・)ことです。つまり
更級日記で菅原孝標女が「ひきいでつつ見る心地、后の位も何にかはせむ」と言うのを地で行ってしまって、大学浪人しました。
だから教員になってからは、現役高校生に源氏物語全巻読破をお勧めしていません。
・・・「読んではいけませんよ〜」と言われてかえって読むかも? でも私は警告しましたからね〜。
夕暮れの桜
源氏物語で好きな場面は、花の宴巻の「桜の唐の綺の御直衣・・・・・・あざれたるおほきみ姿のなまめきたるに」のところです。
大学3年(小規模だったので3回とはいいませんでした)のゼミのときに、毎回質問していたのに、
この巻でこの景色を想像していて「美しい・・・」とボーっとして質問しそこね、あんまりなぼんやり状態に
クラスメイトに「どうしたの、今日は?質問せんかったやん?」と言われました。
絵合巻の竹取物語、伊勢物語などに言及したところも一読の価値ありですね。
マンガなどで、同じ作者の登場人物が別の作品に出てきたり、
別作品の登場人物について作中で言及されたりすることがありますが、何かそれに似て微笑ましい気がします。
物語世界の連続性というかリアリティというか、雰囲気を出すのに効果的では。